地方における社会的事業の経営――「東北風土マラソン&フェスティバル」キーマンに聞く、事業運営の核心

一般社団法人 東北風土マラソン&フェスティバル 様

業態

マラソン・フードフェスティバル・日本酒フェスティバルなど

KPI

笑顔の連鎖

今回お話いただいた方

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一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバル 代表理事

竹川 隆司 様

インタビュアー

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クラシノ編集部

阿部 倫子

今回の事例

こんにちは。弊社コンサルタントの阿部です。クラシノは、宮城県登米市で毎年春に開催されている「東北風土マラソン&フェスティバル」というイベントに、スポンサーとして協力しています。筆者(阿部)が事業立ち上げからブランディング、宣伝活動、制作業務、など、現在に至るまで関わってきた経緯ですが、この「東北風土マラソン&フェスティバル」は、コロナ前の2018年ピーク時では6,800人のランナー、53,000人の来場者を迎えるまで大きく成長し、地域の恒例行事となりました(コロナ以降は苦労していますが)。多数の賞も受賞しました。

 

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登米、と書いて歴史的に「とよま」と呼ばれた地域(登米市は「とめし」と読む)。名の示す通り宮城県内有数の米どころ。

 

今回のクワシーノは、この大会の発案者で創設者、運営法人の代表理事である竹川隆司氏に、11回目となる2025年の春開催を目指すにあたってホンマのところ何考えとんねん、キレイ事はおいといてここだけの話を聞いてみよう、という企画です。地方事業に関わらせていただくことが多いクラシノとしてもキーマンの本音に迫っておきたいところですし、日本各地の様々な事業で活躍されておられます皆様に地域事業の一事例をご紹介できればと思いますし、願わくば東北風土マラソンそのものの宣伝になりますようにという魂胆です。

 

「東北風土マラソン&フェスティバル」のこれまでの歩み(コロナ前あたりまで)は、こちらで取り上げていただいた記事でも詳しいのでぜひご覧ください。

【東北風土マラソン&フェスティバル】 「マラソンを通して東北と世界をつなぐ」をミッションに、2日間で5万人を集客/やまとごころ.jp

 

事業モデルの構築などについては立ち上げメンバーの一人が著した書籍『復興から学ぶ市民参加型のまちづくりII(大会実行委員の佐藤敬生著/創成社)』中に詳しいです。版元のサイトでPDFで読めます。

第2章「風と土」の融合による新たな事業モデルの創造(佐藤敬生)

 

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毎年のポスタービジュアルは様々なアーティストによるイラストレーションで展開。

 

マラソン大会ってどうやったらできるんだろう?

ところで2011年の11~12月の2ヶ月、筆者は宮城県登米市及び南三陸町におり、東日本大震災からの復興支援に入っていたボランティア団体の一員として活動していました。というのも2009年の年末頃から、2年の予定で当時勤めていた東京にある会社を休職し世界中をフラフラと旅していた私は、要するにその頃暇だったのです。こんなに暇を持て余している輩はそうそういなかろう、旅の最後は被災地に労働力を提供して〆よう、そういう思い付きでした。

宮城にいるよ、ということを東京の友人・知人たちに話すと、みんなとても関心をもってくれたものですし、被災地やボランティア団体の活動に対して、労をいとわず協力の手を差し伸べてくれました(そのうちの1人が弊社クラシノ代表の芝田でもあります)。そんなある日、知人から「東北でマラソン大会をやりたいっていうヤツがいるんだけど話聞いてあげてくれない?」と相談があり、現れたのが今回お話を聞きます竹川氏です。

竹川氏は当時ニューヨークに住んでおり、その知人の会社のアメリカ法人の社長をしていました。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得、野村證券ロンドン支社勤務、転身して東京とアメリカで起業、ニューヨークで会社経営をやっている…という絵に描いたようなビジネスエリート。そんなエリート(しかもアメリカ在住)が「東北でマラソン大会やりたい」って突拍子もない、てか私マラソン大会どころか5km以上走ったことないわ、と思いながらも「そんな突拍子もない話につきあえる(暇な)ヤツは今の私しかいない…」という、タイミングがもたらしたとしかいえない使命感に打たれてしまったのですね。最初に竹川氏にあったのは2012年、既に年が明けていたと思います。「マラソン大会ってどうやったらできるんだろう?」と真顔で竹川氏が言うので、「え、そこからなん!?」とあんぐりしながらもそのまんま「マラソン大会はどうやったらできるのか?」を調べ始めた、そういうスタートでした。

その後は、竹川氏のものすごい頑張り、仲間達の頑張り、地元の頑張り、スポンサーや多くの協力者の頑張りに億千万の紆余曲折があって、とにかく「東北風土マラソン&フェスティバル」という春の一大イベントがついに宮城県登米市に誕生しました。第1回が実現したのは2014年4月でした(実現にこぎつけるまでの2年を「頑張った」と「紆余曲折」で片付けるな、とどっかからお叱りが飛んできそうですがそれを言いだすと、ただでさえここまで長々と前置き続けおいて、インタビューに入るまであと何万字要るんだとなってしまいますので盛大に割愛)。

今さらとなっては「マラソン大会ってどうやったらできるんだろう?」と言っていたあの時の竹川氏はどこまでを見据えていたのだろうかが気になる…。というわけで無から有が生まれいづるエネルギーみなぎる空気感を皆様と少しはシェアできたのではというところでいよいよ竹川氏にインタビュー開始してみたいと思います。

日本を包んでいた重々しさと、竹川氏の軽々しさと

阿部:
今思い返してみると、出会った頃のあの竹川さんの軽々しさは、ひょっとすると「オレなら余裕でできる」ぐらいのものだったのかも、という気がしてきたのですが、どうですか?

竹川氏:
それは全くない(笑)というか逆に当初は「誰かコレやらないかな?」ぐらいに思っていた気がする。

阿部:
あ、そっち…。それは10年以上この事業につきあってきたのに全然気づかなかったな…。

竹川氏:
「メドックマラソン日本版、というすごい面白いアイデア思いついちゃった」というのがまずあって。そのアイデアが実現されたら絶対面白いよな、誰かやらないかなあ…みたいな。

阿部:
あー…。

ここで筆者注。我々の大会はフランス・ボルドー地方のメドックマラソンをモデルにしています。世界で最も有名で最も高級なワインの産地メドックの、壮麗なるぶどう畑の中を走り抜け点在するシャトーに立ち寄り、ワインを飲みながら走る、しかも仮装して、というクレイジー極まりないフルマラソンです。世界中の”ファン”ランナーがこぞって参加するだけでなく、同時開催される前夜祭やウォーキングツアー(どちらもワイン飲みまくり)に家族や友達を引き連れて訪れることから、この地方の一大観光目玉となっているのですが、このマラソンの「日本酒」バージョンを東北でやろう!というのが竹川氏の思いついてしまったアイデアだったのでした。実際に我々の大会は東北の日本酒が100銘柄集結する「東北日本酒フェスティバル」を同時開催しており、ただでさえ「走り終わったら体重が増えているマラソン大会」との呼び声高い我らが大会ゴール直後のランナーたちを、すぐさまにめくるめく日本酒たちが待ち構えているという仕立てになっています。世界中から人々を東北に集めてくる、それが東北風土マラソン設立の理念です。

tohoku-fudo03ぶどうの収穫直前期に開催されるメドックマラソン。Photo:S Baker

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メドックマラソンのプロモーション協力も得、メドックの会場に日本酒をひっさげブース出展(いつも東北風土マラソンコーナーは大賑わい)。

竹川氏:
それと東日本大震災の後、特に日本の外から見ていて、相当重々しい時間と空気が日本を包んでいた気がして。自分も何かしなきゃ、何かしたいと気になる、でも現地に行っていいの?ダメなの?みたいな話で躊躇しているうちに、そわそわしながらも時が経っていってしまっていた。周り見たらそんな人がいっぱいいて。そんな「機を逸した」と感じる人達もみんなで楽しく参加できる、つながれる機会が作れたらなと思った。

阿部:
でも自分はニューヨークにいたじゃない。できると思ったんですか?

竹川氏:
いやだから、当初は「誰かやらないかな?」って思ってた。一番の理想はやはり地元の人がリーダーシップを取る事業であるべきと思っていたのもあったし。

誰の、何が動機であるべきなのか?

阿部:
でもさすがに立ち上げに必要な馬力は相当なものだし、個人がそのリーダーシップをとるなら人生を賭してやる、ぐらいのスイッチが入ってないとできないことではない?で、普通の人にとっては人生を賭せるかどうかは、結局儲かる見通しがたつかどうかというか、生活できる収入源がその事業から確保できるかどうかが関係するように思うのだけど、どう思う?

竹川氏:
そうだね。そもそも単一のマラソン大会で儲ける事業にするのは極めて難しいと思う。儲かるマラソン大会、なんてのは世界中見渡しても聞いたことがないし、逆に儲かるからマラソン大会をやろう、という人はそもそもいないんじゃないかな。なので結局は、個人や営利企業ではなく、地域振興事業の一環として、行政か、地域の団体が推進するというのが現実的で理想的。

阿部:
東北風土マラソンも最初は企画メンバーも東京勢が多かったけど、次第に主力を地元勢に移していっていきましたよね。それも簡単なことではなかったと思いますがどうですか?

竹川氏:
地方はどこもそうかもしれないけど、「変えたくない」という思いと、「変わらなきゃ」という思い、この相反する2つがせめぎあっていることが多いように思う。「変わらなきゃ」と思っていても、それは自分のやることではない、と思ってしまえばプラスマイナスで「変えたくない」が優勢になってしまう。個人の中では。でも、地域全体でふんわりとでも「やりたいよね」「やるべきよね」という意見が多勢なのであれば、それを自治体組織や関連団体が推進・運営の意思に変えて続けていくことはできると思うし、実際それがあるから東北風土マラソンもここまで10年続いたのが事実だと思う。言い出したのはいわゆる「よそ者」の自分だけど、そういう流れの中、主体が誰なのかという点で今はかなり地元の人々ベースに変容してきていると思う。

tohoku-fudo05登米の水田風景。地元の写真家、門田慶之さんによるお写真。

モチベーションの高い人の、モチベーションの保ち方

阿部:
ところで第5回か第6回目の大会ぐらいまで、毎年企画がどんどん増えて、とにかくパワーアップし続けていたけど、あれはなんだったのだろう?いろんなところから声がかかったりアイデアがでたりするのを、全部やろう、みたいな勢いでしたよね。

竹川氏:
そこはけっこう真面目に考えて意図的にやっていたことなんだけど、我々の大会って営利、つまりお金を稼ぐという共通の目的を組織で追った事業ではないし、それよりは社会的な意義を感じて関わってくれる人が多い。しかもそれぞれにいろいろなモチベーションで関わってくれる。そんな事業が、現状維持でOK、ってなると、そういう人たちに飽きられるかもと思ったんです。もともとモチベーションが高い人達の、モチベーションを保ち続ける秘訣は「新たな挑戦」だと思う。それがないと緊張感もなくなって組織としてダレる、という面もある。

阿部:
うほ、そうなのか。竹川さんはスパルタですね。私なんか、最初大変だったら、モチベーションを保つためには次は大変さが減るようにしてあげなきゃ、と思ってしまうタイプだわ。そういえば東北風土マラソンの第2回開催に向けてとりかかったとき私は、「そ~っといこ、そ~っと」って思ってたのに、竹川さんが普通にアクセルべた踏みでどんどん企画を増やしていくので「は!?」って思ってた(笑)

竹川氏:
ああなるほど、普通そっちかしら?

阿部:
いや普通がどうかはよくわからない。まあでも振り返ってみれば楽しかったと言えるから竹川さんが正しかったのかも。

竹川氏:
もう1つの現実的な側面として、大会を継続・成長させていくためにはより多くの協賛・協力企業のご支援が必要で、そんな企業の皆さんと一緒に新たな企画を増やしていった側面もあるかな。そうして新たな企画とともに新たな参加者も募って「成長している大会」を一緒に創ってきた、という思いが強いです。

阿部:
なるほど。上向きの循環ができるのすごいな。

竹川氏:
あとは何より目標としているのがメドックマラソンで、やっぱりあの大会はすごいよね、あの世界観は目指すものとして、とても大きい。とても。

tohoku-fudo06各地から集まってくる運営メンバーと地元のメンバーたち。それぞれのプロがフラットにつながりながらそれぞれで力を出し切る不思議な組織力なのだが、それも竹川氏が作り上げた大きな資産ではないだろうか。この組織を思う時、攻殻機動隊公安9課課長の荒巻大輔のセリフ「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」というセリフをいつも思い出す。

tohoku-fudo07ランナーと行く、地元、石越醸造(澤乃泉)の酒蔵見学ツアー。

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南三陸町とも共催。津波の被害の大きかった沿岸部に復興視察ツアーも実施。

tohoku-fudo09補給食としてコース上でランナーに提供している東北各地のグルメを、スポーツ時の栄養面としても優れた「ランメシ!」としてブランディング。ゴール会場で販売。

竹川氏自身は何がために…

阿部:
「もうアカン、これは危機!」もしくは「もうやめたろかいな!」と思ったことはありますか?

竹川氏:
ランナー集客が進まないとつらいよね。世の中に求められていないのかなあ、って思っちゃう。

阿部:
あー、つらいですよね、ソレ。でもそんな普通のこと聞きたいのではないですが(笑)

竹川氏:
大会直前ぐらいになってくると、流石に業務量が膨大になって大変でさ。世の中の年度末・年度初めともちょうどかぶって。なんとかこなしながら、もう来年無理かも、って毎年思ってる。わはは。

阿部:
それって、家庭は大丈夫なんですか?

竹川氏:
家族の応援なしにはできないですね。

阿部:
奥さんも理解しているということ?

竹川氏:
それは…。

阿部:
家庭を犠牲にしているならそれは素直に認めたほうが、ご家族は報われるかもしれないですよ?

竹川氏:
心から感謝しています…。でも自分の子どもたちも楽しみにしてくれている、というのも今は大きい!

阿部:
わかりました(笑)で、なんやかんやで来年もやるわけですよね?それだけ大変なのに、どこでスイッチが入るんでしょう?

竹川氏:
今年の大会(2024年4月)が終わったときに、2025年もできるな、やりたいなっていうのは思った。人が戻ってきて、ほんわかした雰囲気で。みんな嬉しそうで笑顔の連鎖がある。そういう場作りってそんなにできるものじゃない。それをまた作りたい。

阿部:
ひぇー、終わった瞬間にもうスイッチ入っているんだ。やっぱり竹川さんちょっと尋常じゃないのかもですね。さっきの話に戻りますが、そうやって挑戦することを絶やさないのは、結局竹川さん自身が、「みんなが喜ぶ」というようなことにやりがいを感じて、それを楽しんでいるからということですかね?何かやろうとすればするほど、自分の仕事も増えていくわけだけど、それを超える楽しさ?

竹川氏:
そういうことになりますね。

tohoku-fudo10これは祈念すべき第1回、スタート付近でランナーを送り出す竹川氏。

tohoku-fudo11笑顔。

tohoku-fudo12笑顔の連鎖。

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笑顔。

tohoku-fudo14笑顔の連鎖。

地元との信頼関係をどう築くのか

阿部:
この事業を改めて考えるときに、登米でなくてもいい、というようなことはありえますか? 

竹川氏:
教科書的に答えるなら、我々の型・フォーマットは他地域にも展開できるものだと思うし、こういうやり方が登米じゃない地域にも広がっていったら嬉しい。我々がそもそもメドックにならってやっているし。そして他の地域でやりたいという人がいたら手伝うこともできると思う。ただ一番の難関は、立ち上げの大変さ。これを登米市とその周辺地域のみなさんと乗り越えたのだから、東北風土マラソンのオリジナルは登米市でしかありえないです。

阿部:
地元との信頼関係はどうやって築いていったのですか?気をつけていることとか、秘訣のようなものはありますか?

竹川氏:
大会開催に関係する登米市関係のキーパーソン、つまり登米市役所や地元の警察署、消防署の方々はもちろん、例えば事務局を担ってくれる登米市観光物産協会の会長、協力して人や場所を提供してくれる地元企業の社長などの方々には自ら足を運んで直接会って、自分の言葉で誠実に話をする、ということかな。言ったことをちゃんと誠実に続けていれば、今度はその方々が強力なサポーターになってくれて、そのうち「遠くからわざわざ来なくても良いよ」なんて言ってくれるようになる。そうなるまでしっかり腰を据えて向き合って、その後も続ける。そうして信頼関係ができて仲間が増えていくとその分、やれることの可能性もどんどん広がっていく。

阿部:
一人ひとりに直接会って話をするとか、言ったことを続けていくとか、一瞬あたりまえのように聞こえるけどそれは普通じゃなかなかできないことですね。

tohoku-fudo15地域住民への説明にも竹川自ら出向く。地元の皆様のご理解・ご協力あってこそ。

人が集まる場の吸引力とはなにか

阿部:
ところで「良いマラソン大会」ってなんだと思いますか?

竹川氏:
「笑顔があふれる場」。ランナーも、ボランティアも、スタッフも、観光客も地元の人々も、笑顔が連鎖する場になっていること。

阿部:
また出た、笑顔の連鎖…本当にそう思っているの?

竹川氏:
ど本気です。むしろ順番は、笑顔があふれる場を作りたいから、マラソン大会をやっている、みたいな。「人が集まる場」というのを考えたときに吸引力として何がありえるかを考えたら、「人々の笑顔の連鎖が発生する場」っていうのはアリでしょ。やっている自分も楽しいし。そのための一番の手段がマラソンだった、という。

阿部:
なるほど。確かに、田中さん(運営の中核を担うスタッフの1人)も言っていたけど、ランナーにとって、走っている中に見える、沿道で応援してくれている人々の表情が最大の「そこにまた来る理由」になっているのではないか、という話と同じだな…。
いや、私は自分の友人や家族の笑顔にはもちろん関心があるけど、赤の他人である町の人々の笑顔について考えたことってほとんどなかった。竹川さんの話を聞いていると「聖人かよ」って思っちゃったりするわけ(笑)私がランナーじゃないから気付かなかったのかも。

竹川氏:
聖人(笑)そうありたいものだけど…うちの奥さんから「まず成人になれ」って言われそうだ…

阿部:
気をつけましょう…(笑)

tohoku-fudo16笑顔。

tohoku-fudo17笑顔の連鎖。

一貫している「挑戦」スタンス

阿部:
竹川さん自身、この先10年も続けていく?

竹川氏:
もちろん続けたい、続いていってほしい。ただ、正直あまり固苦しくも考えてはいなくて。今年できたから、来年もやってみよう、それぐらいのつもりです。楽しくないとね。でも、コロナで一回ぷっつり途切れてしまった勢いが、また戻ってきているなという手応えが感じられたのが2024年大会でした。コロナを乗り越えてどこまで元の盛り上がりを取り戻せるかが当面の目標。フルマラソンを2025年でついに復活させるのもその意味でとても大きいですね。

(筆者注)コロナ禍以前は、ハーフマラソン、フルマラソンの両方を実施していたが、コロナ禍以降はハーフマラソンのみの開催となっていたのでした。

阿部:
確かに2024年は手応えありましたよね。初回から10年以上たって、歴史が積み重なっていく中でも、相変わらず竹川さん自身の挑戦の熱意が衰えていないことに驚いたと同時になんか、勇気をもらってしまった気がします…

竹川氏:
2025年も何卒…

阿部:
はい、頑張りましょう!

インタビュー後記

長く事業に関わりながら、私もまったく気づいていなかった竹川さんの思いや経営者としての戦略性といった側面も知ることができ、驚きました。どんな事業でも言えることですが、自分自身と周りの動機のコントロールは一番重要で、難しいところかもしれません。単純な話として、人を引き寄せるコンテンツ作りの中核が「笑顔」とか「楽しさ」であることにも気づき今更ながらハッとします。内輪のモヤモヤした話が多めになってしまったかもしれませんが何卒ご容赦くださいましたら。そしてもし、我々「東北風土マラソン&フェスティバル」の事業に関心を持ってくださる方がおりましたら、ぜひお声がけください。ご協力者様もランナー様も、大募集中です。

東北風土マラソン&フェスティバル 公式サイト
https://tohokumarathon.com/

竹川隆司プロフィール

1977年神奈川県横須賀市生まれ。国際基督教大学卒。ハーバード大学経営学修士(MBA)。野村證券東京、ロンドン勤務の後、独立し日米で起業、主に教育テクノロジー分野で事業を推進。東日本大震災の復興支援活動として「東北風土マラソン&フェスティバル」を立ち上げ。カタールフレンド基金による取り組みとして、東北での起業家育成・支援プロジェクトを主導、INTILAQ東北イノベーションセンター設立等を行う。2016年株式会社zero to oneを創業、代表取締役。日本ディープラーニング協会理事、東北大学共創戦略センター特任教授(客員)等も務める。

tohoku-fudo18左は竹川氏。右は初回大会に登米まで来てくれたメドックマラソン理事長のヴィンセント・ファブレ氏。

 

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